介護事業における「サービス」
介護保険事業者の「サービス」をどう捉え、事業にあたるか
サービス付き高齢者向け住宅の整備がさらに進められていることなどによって、多様な事業者が新たに介護事業等へ参入したり、関わりをもつ状況が続いている。高齢者向けの住宅の供給や管理のみを行う事業者もあれば、住宅で提供される介護等の提供を、介護保険事業者として行うというところもあるだろう。ところで、介護保険事業者にとって、いわゆる「サービス」とは何だろうか。
介護保険法の目的には、「尊厳を保持し、その有する能力に応じ、自立した生活を送れるよう支援する」とあるのだが、このことはなかなか奥深く、いわば目指し続ける類のことだろう。
相手が困っていることを介助者が援助するというのは、一見とてもまともそうなことだし、何かができなくて困っておられるのを介助者が手助しないのは、それこそ「冷たいのでは?」という風にも思われかねない。実際、介助される側が求めていて、介護保険事業者として介助する側がその支援をしないというのは、変な話にも思える。
しかし、どのような支援がどの程度必要で、それをいかに提供するかは、介護事業者であれば十分に検討されなければいけない。
「将来介助が必要になったとしても、自分のことは自分で」 多くの人ができればそのようにと願っているかもしれない。それでも、要介護状態になればなおさらのこと、どのような状況の時も介助を受ける側がそのように思っていられるかどうかはわからない。介助が必要になっていくときに、自分でできることとそうでないことを冷静に考えていくのは精神的にもきついものではないか。
また、介助が必要になったとき、それを支援することは必要だが、その必要性が認識され、介助が行われるに至るプロセスというのは「あなたは立ち上がりが困難なので、それを介助します」なんて、単純なものではないようだ。
立ち上がりが困難な理由ひとつ取っても実にさまざまで、ある人の場合は、筋力の低下に拠るかもしれないし、その筋力の低下は、単に運動だけに影響されているのではないかもしれない。複数のストレスや高ストレス状態が続いたりして意欲そのものが不足しているかもしれないし、何かの不安が行動を抑制しているのかもしれない。様々な人生を経験豊かに歩んできた高齢者への支援にあって、その人の意欲などを考えようというのは、一見、おこがましいようにも思える。しかし、そこはプロの支援者として、失礼のないようなふるまい方や説明を行わなかればならない。
たとえば、いわゆるサ高住に併設されることが多い訪問介護は、たくさんのサービスを提供すれば、介護保険収入が多く入る仕組みになっている。なので、収入を増やそうとして、介護の提供量を多くするような力が働くのも無理はないのだが、介護事業が「相手が困っていることを支援する事業」と単純に考える域から出ていなければ、このような傾向に拍車がかかるように思う。
単純なサービスの発想が、介護をプアにしてはいないか
ご本人ができなくて、必要とされることを支援しよう。それで喜んでもらえれば、本人にとっても良いのだし、サービスをもっと使ってもらえることになるのだから、会社にとってもよい。介護事業に参入した経営者からはこんな話も聞こえてくる。ごもっともな話のようにも思える。
しかし、介護事業者にとってのサービスとはなんなのか。
介護事業者にとってのサービスは、単純にパッと見てできないことをケアすればそれでよいということではない。当然、安全や安心が確保される必要はあるが、ご本人の意向や心身の状況からケアを考えていくとき、そのときどうすれば、また将来どのように支援していくことが尊厳の保持につながるのか、ということをどの程度大事にするかで、検討結果は大きく異なるだろう。
さらに、たとえそのように検討したとしても、介護計画の説明で「ご本人にやってもらうという説明なんて、ご本人の理解が得られない」と考える向きもあるようだが「特定の支援はせずに自分でやってもらおう」となった時、もしそれをそのまま本人に伝えて、相手の理解が得られなければ、その説明は失敗である。できることは自分でやってもらわないと などと押し合い、相手の理解が得られないなんていう解釈に事業者側がなっていたら、それはちょっとおかしな話だ。専門家が必要な視点と妥当なプロセスを経てその方が本人にとって良いと判断したならば、より妥当な判断が得られやすいように説明するのが事業者側の役割だし、一見、本人にとって大変そうなことを、専門的な視点を踏まえて身近な支援者としてより前向きに考え、取り組めるようアプローチするというところに、このような事業におけるサービスの核の一つがあるのではないか。
また、身体機能や意欲、参加や周囲の環境など、適切なアセスメントとコミュニケーションを含む幅広いアプローチの中から、必要な介助やその順序などが適切に設定されるためには、体のことや心のこと、医療や薬、環境との関係など、様々な視点が必要になり、そこに専門性を発揮する領域やチーム連携の必要性が生まれる。適切なアセスメントやケアの設定そのものを重視しないのに、外部の研修やテキストに書いてある専門性やチームアプローチという言葉をもってきたところで、専門性やチームそのものを使う余地がなければ意味がない。専門性が発揮できるようなアプローチがなければ、専門職は評価されるイメージが持てないし、当然専門職が連携することにも意味が見いだせず、結果、チームアプローチは確実に形骸化する。
単純なサービスの発想で推し進めることは、ともすれば、このような状況をつくるように思う。そしてそうなると、専門性を高めながら、より細やかに介護に取り組もうとする者にとっては、いてもしょうがない事業所となり、そのような者が定着しないことでレベルは低下していく。介助を必要とする本人(その家族も)を、良い意味で揺さぶることができる、そういうものをサービスの核の一つと捉える事業者が増えれば、介護される側にとってもよく、またする側も、いきいきしてくるのではないだろうか。