妥協しない指導者選任
手本となるスタッフ、指導者の選任において、妥協したりハードルを下げると後がこわい。
労働集約型の事業でより顕著なのかなと思うが、ここ数年、様々な企業で人員の数そのものが不足したり、ほしい人材と応募がある人材とのミスマッチが発生しているといったことを新聞等で読んだり、また直接、経営者や人事担当者から伺うことが本当に多くなったと感じる。実際、求人倍率などの指標を見ても、確かにそういった実態があるのだろうと思う。
そんな採用難の影響もあるのだろうが、新人等への業務の指導者(ここでは、実際にOJTなどの教育を施すスタッフを想定)を設定することに苦労している企業がたくさんあるようだ。人材の確保が困難な環境下では、人員数そのものが少なくなったり、経験の浅いスタッフの比率が高まるなどして、日常の業務においてもスタッフの負担が増えがちになる。その上、良好な人材育成環境を維持していくということは容易なことではなく、教育体系そのものが揺らぐこともあり得る。
だが、いくら指導者や熟練者不足であるといっても、指導者選任のハードルを下げるのはまったくもってよくない。
みなさんの会社では、例えばOJT指導者を任せられる基準というのを、ある程度厳格に定めて運用しておられるだろうか。もちろんこれは、結果的に指導者にふさわしい人材がその役割を負うようになっていればよいのだろうが、人材不足に比例して、指導者として選任するハードルを下げているとしたら、ほんとうに怖い話だ。
指導者になるためのハードルを下げるくらいなら、たとえ実施できる教育プログラムの量が減っても、指導者を選任しない方がずっといいようにさえ思う。OJT担当者や技術的に優れた人材を他のスタッフの手本として位置付けるような場合も同様であるが、このような人材のレベルを下げるということは、その組織のレベルを下げることそのものだと思う。指導のレベルは下がり、手本を示すこともままならないような環境では、ポテンシャルのある人材は先を案じて辞め、適当な指導に適当についていけばよいのだという環境に適応できる者しか残らないというようなことが起こり、単純に人材不足で業務量がこなせないことからくる損失以上に大きな損失をもたらしかねない。
人材不足という焦りの中にあっても、適任者がいない場合は選任しないという選択をし、その組織のトップや責任者等に割り振れる範囲で業務を分担して凌ぎたいところだ。
採用難だろうが人材が不足気味だろうが、教育担当者の選任はもちろん、採用基準などのハードルも一切下げない、むしろこういった時こそ厳格に、なんていう話も聞く。ハードルは下げてはいけないなどと書きながら、ここに感心してしまうのは矛盾しているようでもあるが、このような話を聞くと、やはりすごいなと思ってしまう。