中途半端なルール設定が「気づく社員」をつぶす

守るべきルールか、それとも望ましい行動か?

ルールはルール、設定したら守られるように徹底しないといけない。

ただ、絶対にルールを守らなければならないということをフォローしだすと、ルールを徹底させるためのコストは膨大になるだろうから、なかなかそうもいかない。
だから、ルールとしてしなければならない行動と望ましい行動は、守られていない状況と望ましい行動がとられていない状況のところだけを考えれば、同じように見えてしまうかもしれない。でも、リーダーは、これらを明確に分けないといけない。
ルールならば、それが守られていない状況が公式に分かったなら、該当する社員のその行動は何らかの注意の対象になる。一方、その方が望ましいということについて、そのようにやっていないとしても、そうした方がよいというアドバイスの対象にはなるだろうけれども、注意することはできないだろう。むしろ、望ましいことをしている方を適切な評価するという方がいいかもしれない。

ところが、このような区分けがしっかりできていない状況が続くと、望ましいことなはずなのに、ルールにしてしまうというようなことをやってしまうリーダーがいる。

望ましいことを安易にルールに格上げするという愚策

ルールと望ましいことを区分けせず、なんでも間でもルールのような浸透のさせ方をしてしまう。そうすると、望ましいことまでルールのようにしているのだから、守られないことが増える。そしてこのようなことは、組織にとって良くない反応を呼ぶ。

  • 「ルールは守る必要なし、たくさんルールみたいなのあるけど、ほとんどみんなやってへんやん。」ルールが守られていない状況が優勢となり、本来守るべきであったはずのルールも形骸化。
  • 「ルールがある以上、そのようにせんといかんやろな。でもやってない人もたくさんいるのに私だけどこまで守ればいい?」そうして、守ろうとする人に負担が集中。せめて適正に評価される?でももともと曖昧さからきているから評価もされない上、よくやってくれているねだけでは割も合わない。。。

このようなことは、人間関係や職場環境が満たされない状況をつくっていき、社員が辞めやすくなる。特に、守ろうと努力するの側に立つ社員が辞める。この中には、繊細に顧客の要望等を感じ取ったり、社員同士の関係を築いたりする、企業にとっていてほしい社員が含まれるのではないか?

うまくいかない時、リーダーは、自身が望ましくないと考える側の社員だけをみて、安易なルールを設定しようとすることがある。でも、それはほとんどの場合うまくいかない。望ましくないと考える側の社員が、ルールを増やしてそれを守るようになることはまずない。だから、残念ならがそのような策で社員たちの行動が、望ましい状況に変革することはない。

もっとまずいのは、従来あなたの指示を尊重し、守ろうと努力する社員たちの物理的精神的負担が増加することだ。これは、本当に残念なこと。むしろリーダーならば、そのような社員の負荷を軽減し、本来発揮できるはずのパフォーマンスの向上を支援する側に立つべきなのに、まったく逆のことをしていることになる。このようなコミュニケーションで、頑張る社員が苦しむ状況ができてしまうのは、その社員のことを考えればとても酷なことだし、組織にとっても実に惜しいことだ。

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